赴任期間 | 1980年10月より1982年10月(2年間) |
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派遣機関 | 国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊(JOCV) |
協力相手先 | ホンジュラス共和国 天然資源省 |
主な活動 |
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想い出 |
ホンジュラスに赴任中の協力隊員の仲間うちで、ラ・セイバのカーニバルのお祭りに、協力隊員も参加しようという話が持ち上がり、手の器用な隊員(職種:船大工)を中心に皆の手作りでお神輿を作り、協力隊員の有志全員が法被・鉢巻姿でお祭りに参加した。 全員でお神輿を担ぎ、掛け声をかけながらお祭りの沿道を練り歩いた訳だが、初めて見る日本のお祭り姿に、地元ホンジュラスの人々より喝采を浴びたことが、楽しい想い出として残っている。 |
赴任期間 | 1983年12月より1986年9月(2年9ヶ月) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団(OFCF) |
協力相手先 | スリナム共和国 農牧水産省 |
主な活動 |
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想い出 |
スリナムに赴任する少し前に、スリナム国内で軍事クーデターがあり、宗主国であるオランダからの支援・援助が打ち切られた直後であり、物資不足が深刻な時期であった。町のスーパーマーケットには、物資を並べていない棚が多くあり、鶏肉やジャガイモの売り出し日(貨物船の入港の翌日)には、物資を求める人で長蛇の列が出来た。 物資の買出しに隣国(仏領ギアナ)に行った際、国境の川を乗り合いのカヌーで渡って見た仏領ギアナの小さな国境の村が物資に溢れた素晴らしい所に見えた。(人参、玉葱、ジャガイモ、トイレットペーパーなどを車にいっぱい積み込み、スリナムに戻って来た) 物資の溢れる日本では、とても想像出来ないが、今でも、人参や玉葱を見と、このスリナム時代のことを思い出す。 |
赴任期間 | 1999年4月より2000年3月(1年) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団(OFCF) |
協力相手先 | ペルー共和国 漁業省 |
主な活動 |
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想い出 |
ペルーは赴任期間1年と短かったが、暇を見付けてはよく国内を旅行した。
特に想い出に残っているのは、インカ文明の古都クスコや、遺跡類(サクサイワマン、オリャンタイタンボ、マチピチュなど)を訪れた旅である。
インカ文明は、石組みの正確さや灌漑や農業の分野にも高度に発達した文明であることが分かった。この旅をきっかけに、ラテンアメリカの考古学や民俗学に興味を持つようになり、現在も文献を集めて読んでいる。 もう1つの想い出は、ペルー滞在中、フジモリ大統領を表敬訪問したことである。(財団理事長の表敬訪問の随行員として)フジモリ政権9年目で、テロ対策やインフレ対策、雇用対策等々、また政敵も多く、大変の時期であったのであろう。眼光の鋭い、一種の殺気さえ感じさせる政治家であった。なお、ペルーの国民には、今でもフジモリ大統領の業績を高く評価している人が多い。(特に貧困層に多い) |
赴任期間 | 1988年12月より1993年2月(4年3ヶ月) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団(OFCF) |
協力相手先 | モロッコ王国 漁業省 |
主な活動 |
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想い出 |
モロッコは異国情緒に富み、且つ、歴史的な見所や自然の見所に富んだ国で、生涯に一度は訪問する価値のある国の1つである。モロッコ赴任中、暇を見付けてはよく国中を旅行した。 特に想い出に残っているのは、古都マラケッシュを訪問した後、アトラス山脈を越えてカスバ街道を通り、サハラ砂漠まで旅をしたことであろう。 モロッコの雄大な自然を旅して、悠々と流れる時間、そして、自然と共に生きる地元の人々の生活を垣間見た。 ここの人々は、多分、百年前も今と同じような生活をしていたであろうし、また、多分、これから百年後も同じような生活をしているのではなかろうか、とふと思った。慌ただしくて、変化の激しい東京に居て、変化しないことも、また大切なことではないかと思う時に、モロッコのあの旅で出会った人々のことを思い出すことがある。 |
赴任期間 | 2000年12月より2001年3月(3ヶ月) 2001年10月より2004年3月(2年5ヶ月) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団 |
協力相手先 | カーボベルデ共和国 環境農業水産省 |
主な活動 |
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想い出 |
カーボベルデの一番の想い出は、カーボベルデの友人と共に「日本・カーボベルデ友好協会、通称:たけのこ会」を作ったことである。 ことの始まりは、私の仕事のカウンターパートを財団の研修生として日本に送り、鹿児島大学で9ヶ月間、漁業管理部門について学んだことに始まる。日本での生活習慣や日本人の考え方などが、彼の価値観と合ったのだろう、すっかり日本が気に入って、研修が終わりカーボベルデに帰国するなり、我々に「日本・カーボベルデ友好協会」を作ろうではないか、と言う話になり、結局、彼を中心に発起人10人(カーボベルデ人5名、日本人4名、ペルー人1名)で、カーボベルデ国での正式なNGOとして、この会を立ち上げた。 日本大使館の協力を得て、ミンデロ市内の中学や高校の図書館に日本紹介の小冊子を配り、授業の一環で、日本紹介のビデオを学生達に見て貰ったりした。また、大使館の「草の根無償資金」をこのNGOを受け皿として受け入れ、貧民地区の給水施設やトイレを造り、草の根レベルでの協力を行った。 |
赴任期間 | 2006年1月より2006年3月(3ヶ月) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団 |
協力相手先 | ギニア共和国 漁業養殖省 |
主な活動 |
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想い出 |
ギニアは、私が赴任した経験のある国の中では、最も1人当たりのGDIが低い国で、道路や電気などのインフラ整備が、可哀想になるくらい遅れていた。 首都コナクリと言えども、電気の供給量に限界があり、毎日、最低1回は停電になり、夜間はローソクの生活を余儀なくされた。電気が止まると、水道のポンプも止まるので、水も使えなくなる。 電気や水道が不自由な生活を体験して、日本では空気と同じように、電気や水道が有るのは当然と感じているが、このことは、国が安定し、ある程度発展していることの証であり、大いに感謝すべきことだと感じた。 ただ、夜間、テレビやPCを見ずに、ローソクの光で、心静かに本を読む生活も、なかなか味わいがあって良かった。 |
赴任期間 | 2004年12月より2005年3月(3ヶ月) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団(OFCF) |
協力相手先 | ガボン共和国 森林経済・水利・漁業・環境・自然保護省 |
主な活動 |
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想い出 |
仕事の拠点となったオンブエは、外部から村に通じる道路が無く、船か小型の飛行機でしか行けない陸の孤島であった。 ポールジョンティから仕事場であるオンブエまでの船旅が面白く、「これぞアフリカ!」と言う体験で、原生林のジャングルの中に網の目のように張り巡った川を4~5時間かけて航行して行くのだが、途中には野生のサルやワニや大蛇などが出てきそうで、なかなか興味深かった。 ポールジョンティの市場には、野生の動物を扱う売り場があり、ワニや野じか、イノシシ、ハリネズミ、そして大蛇や猿などを食料として売っていた。私も、ガボン人の友人の案内で、町の食堂で、猿の煮込み料理やワニの煮込み料理を食べてみたが、ワニの方は、なかなか美味であった。 |
赴任期間 | 1994年1月より1999年1月(5年) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団(OFCF) |
協力相手先 | ナミビア共和国 漁業海洋資源省 |
主な活動 |
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想い出 |
ナミビアは5年余の長期に亘る赴任となったので、想い出の数も多いが、その中でも、あるナミビア人の友人との思い出が多い。
彼は、数百年前のヨーロッパ(オランダ)からのアフリカ開拓者の子孫で、開拓時代の名残と思うが、アウトドアライフの権化みたいな人物であった。![]() 暇を見付けては「いさお、キャンプをしよう」、「いさお、イセエビを捕りに行こう」、「いさお、釣りに行こう」と私をよく誘ってくれた。そして、ナミビアは我々の期待に十分応えてくれるだけの自然の豊富なところであった。彼からは、お金を掛けずに如何に余暇を楽しむかを学んだ。 日本では、お金を掛ける余暇に慣れているが、ふと、ナミビアのアウトドアの権化のことを思い出す時がある。 |
赴任期間 | 2007年2月より2008年6月(1年4ヶ月) |
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派遣機関 | 財団法人 海外漁業協力財団 |
協力相手先 | セーシェル共和国 環境・天然資源・運輸省 |
主な活動 |
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想い出 |
セーシェルの海や海岸の美しさは、本当に目を瞠るものがある。 その中でも、休暇を利用して訪れた「バードアイランド」の美しさは、特に記憶に残っている。 バードアイランドは、首都のマヘ島から北に約100km離れた珊瑚礁と白浜のビーチに囲まれた小さな島(面積6km2程度)で名前の如く鳥たちの楽園の島で、 ![]() また、この島には天然の象亀が20頭近く居て、島を訪れる子供たちの恰好の遊び相手となっていた。海はとても美しく、海水の透明度がとても高く、珊瑚礁の周りに生息する小魚を水マスクを付けて潜ると、水族館の世界を現実に見ることが出来た。島の楽しさを満喫し、家族4人とも、真っ黒に日焼けして首都のマヘ島に戻って来た。 |